神戸学院大学大学院心理学研究科 博士後期課程での学びとは? (1)
- 特集
- 2023.01.23
大谷多加志先生との座談会レポート その①
2022年12月に,大谷多加志先生(京都光華女子大学健康科学部心理学科准教授)をお招きし、座談会を開催しました。大谷先生は神戸学院大学大学院人間文化学研究科の博士後期課程の修了生です。大谷先生からは本学大学院でどのような学びを修められたのかなどたくさんのお話を伺い、本学心理学研究科の博士後期課程の魅力や、博士後期課程で心理学を研究することの楽しさと奥深さについて語り合いました。
座談会には、大谷先生の博士後期課程在籍当時の指導教員である本学心理学部の清水寛之教授と、小久保香江心理学研究科長、実習助手の黒川優美子さん、心理学研究科大学院生の福井優哉さん・心理学部3年次生の菅野真愛さんも参加しました。このたびの特集では、座談会の様子を余すところなくレポートします!
今回は「その①」として、大谷先生の本学大学院人間文化学研究科在籍当時のお話についてまとめました!
大谷先生は2001年3月に本学人文学部人間文化学科を卒業され、同年4月より本学大学院人間文化学研究科博士前期課程に進学されました。2003年3月に修了された後、京都国際社会福祉センター発達研究所で研究員の職に就かれ、在職中の2015年4月より本学大学院人間文化学研究科博士後期課程に進学されました。
大谷多加志先生(以下 大谷):神戸学院大学人間文化学研究科の博士後期課程に在籍していた当時は、京都国際社会福祉センターの研究員として、K式発達検査の改訂に関する調査データの一部を集めていました。その仕事は博士後期課程に入学する前から行っていました。大学院ではそれを論文にまとめるところから始めて学会誌に論文を投稿して、博士論文の作成に取り組みました。
後期博士課程に入学した段階で清水先生からはもうその時点で、「君は3年で出ないとダメだよ」って言われていました。
清水寛之教授(以下 清水):京都国際社会福祉センターの所長である所 久雄先生からの強いご希望があって、3年で博士号を取得してもらいたいということでした。
大谷::ところが所長は実は、3年で取れるとは思っておられなかったようです。私には、「取れるか取れないかはやってみないとわからないから、とにかく勉強してこい」ってくださって出してもらいました。とはいえ、センターの日常業務は減らさず、仕事が全部片付いてから夜に毎晩ちょっとずつ論文を書いていくという日々でした。
大谷:一番きつかったのはやっぱり、あんまり眠れなかったっていうのがありました。論文を書く時間があまりとれなかったのです。まだうちの子どもが幼児だったので、子育てしながらの勉強でした。神戸学院大学へ来るのも保育園の送り迎えしながらみたいな感じで。一度、園から「お子さんが園で吐きました」という連絡があって、あわてて帰ったこともありました。そのときは、どうして大学に来てるときに吐くんだよと思いながら。
そんなこんなで・・夕方、園に子どもを迎えに行って、ご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かせて、といったことをしていると、もう夜の9時とかになるのがいつものことでした。それから自分の昼間の仕事で片付けなくてはいけないことを片付けて、それからやっと研究活動に取りかかるのが12時とかそんな感じでした。いくらがんばっても、やってもやっても研究が進まない日もありました。でも、翌日に研究指導がある時は、とにかく何かを持っていかないといけなくて。研究指導の前の晩が一番寝ていなかったです。でも、その日にぐっと進んだりするんですよね。
ある日にふと光が見えた気がして、この筋道で書き進めたらなんとかなるんじゃないかと思ってさらに勢いをつけて書いて、ヘロヘロになって原稿を持っていったら、清水先生から「あ、いいじゃない」とか言ってもらえると、すごいうれしかったです。ああ、がんばってよかったと思いました。
清水:指導しているほうも、これが近道だという自信も全然なかったです。ずいぶん遠回りをさせることもありました。惑わす気はさらさらなくても、結果として遠回りをさせてしまいました。申しわけないです。でも、学生と先生は、本当に相互作用で成り立っているように思います。がんばる学生がいたら先生もがんばるし、その逆も当然あります。
縁がつないだ博士後期課程
小久保香江心理学研究科長(以下 小久保):何かこう、パッと良い出会いっていうのは、あるかもしれないですね。大谷先生が大学院に戻ろうと思ったときに清水先生がやっぱりそのときにいてくださった、そのタイミングで。
清水:大谷君が卒論を書いていたときも修論を書いていたときも私は指導教員ではなかったです。仲は良かったですが。
大谷:在学中におられた先生が、もう清水先生しか残っておられなかったっていうのももちろんありました。新版K式発達検査の改訂のときに、特に統計に関する部分に清水先生が関わっておられたこともありました。
清水:前回の2000年版の改訂のときですね。仕事上もつながりがありました。
小久保:そうすると、出会う運命っていうのもありますね。
清水:ただ、大学院に戻ってこられた当時、大谷君はご自宅が京都の伏見でした。神戸学院大学に来るまでに2時間以上かかりました。遠い大学に何度も来てもらうこともどうかと考えました。なので、私も自宅が高槻なので、博士後期課程の最後のほうはお住まいと大学のほぼ中間にあたる高槻市内の喫茶店なんかで待ち合わせをして、そこで博士論文の指導をしたこともありました。後にも先にも、あんなことをしたのは大谷君だけなのですが、楽しかったですよね。
そういえば、博士前期課程(修士課程)の当時、大谷君の学年はすごく仲が良かったですね。この学年は、学部から他に3人が大学院に進学したはずです。
大谷:そうですね。4人で、筑波大学で開かれた心理学会まで車で行って、本を借りに行ったりしましたね。
清水:あれはすごかった。みんなで映画撮ったりしていました。
清水:そういう意味では、学部生と大学院生も今とだいぶ違いました。大学院に入ると、学部生のときの暮らしぶりがずいぶんと変わるでしょう。
福井優哉さん(以下 福井):自分はすごい変わりました。とりあえず院生室に行けば居場所があるし。僕は下宿なので、すぐ家に帰れるのですが、そうでなくても「つなぎ」に居れるなっていうのがあったりする。
大谷:そんな生活をしている中で、研究をもう少しやりたいなっていう思いが、より大きくなりました。
小久保:じゃあ、博士号を取られて、すごく研究が楽しくなったと?
大谷:おもしろかったです。おもしろかったので、これからも続けたいなっていうふうに思いました。在籍時に所属していた京都国際社会福祉センターのほうは、K式発達検査を作り直すために研究をやっていたので、新しい検査を出すと、一段落になる感じがありました。もうちょっと自分で研究テーマを立てて、その研究計画に基づいて自分で研究を進めていくのをやりたいなあというふうに思って。で、大学のほうで科研とか取ったりしていけたらいいかなっていうので、そのあたりから少しずつ大学教員への道も考え始めたというところです。
・・まだまだ話題は尽きませんが,ひとまずここで区切りとしたいと思います。